あおい情報システムロゴ

台湾との交流について

多方面からよくお問合せをいただく社長と台湾の関わりについてインタビュー形式で紹介します。

  • 台湾に訪初めて訪れたきっかけは何だったのでしょうか?
  • 創業6年目の2010年の春、新製品や新サービスの事業企画に行き詰まり中堅社員の退職や世界同時金融危機、いわゆるリーマンショック不景気による赤字転落などもあって当時は社員には言えないもやもやしたものが私の中にあった。

    それを払拭し、新しいアイディアを生み出すため、まずは自分自身の視野を広めようと考えていた。そんなときに財団法人 日立地区産業支援センター(HITS)の日向さんと知り合い、台湾の企業や団体を訪問し、アジア最大のIT展示会 Computex TAIPEIを見学するミッションのことを知り申し込み期限ぎりぎりで参加したのがきっかけで、その時が初めての訪台です。
  • もともと台湾に興味があったのですか?
  • 多くの日本人が初めて台湾を訪れると、台湾の人々の心、台湾と日本との心理的距離、文化的な共通点と相違点、料理のおいしさなど、たくさんの魅力を感じると思います。
    私もそういった魅力に惹かれた一人です。

    HITSのミッションで初訪台でしたが、私だけ帰国せず数日延泊し少し台北の市内を歩きました。

    日本人が一人で歩いていると、人々がどんどん話しかけてくるんです。地下鉄でちょっと地図を見ているだけでも、食堂でメニューをみながら少し時間をかけて選んでいるだけでも。当時は今ほど日本人観光客も多くなかったからかもしれません。日本語が片言でもできる人はすごく多いし、日本語が話せなくても助けてあげようと親切に話しかけてくる。

    ビジネスの上でも、良くも悪くも積極的で、上昇志向が強い。
    もやもやした気持ちで渡航した私には、それがとても新鮮で、自分が発奮するには十分な出来事でした。
  • 初めて一人で台湾を歩いた時のエピソードを教えてください
  • HITSミッション団と一緒に帰国せずに、延泊した最初の日は雨が降っていました。

    僕が信号待ちで立っているところに、建物から出てきた女性がぶつかりました。
    「あ、すいません」
    と日本語が、つい出てしまったのですが、それを聞いた相手が「日本人ですか? 私いま日本語を勉強しています、少し話し相手になってくれませんか?」と話しかけてきました。

    海外で街角で会った初対面の女性にお茶に誘われるなんてその時はセールスや何かの勧誘、美人局とかをちょっと疑ってしまいましたね(笑
    むしろ、セールスでも勧誘でもそんな話も聞いてみたいと Starbacks で1時間ぐらいお話しました。

    彼女は社会人で自分のキャリアアップのために日本語勉強している、日本語の勉強を兼ねて日本人の話を聞いてみかった。純粋にそれだけで、いろんな話をして、とても熱心にメモを取っていたのが印象的でした。

    その後、ミッションで通訳を担当してくれた「吳又又さん(以下、吳又)や「Grace Chenさん(以下、Grace)」とそれぞれ食事をする機会があって私は、多くの人から話しかけられることや、その彼女のことを話しました。

    吳又「あ、いますね。そういう人、多いですよ。私も困ってそうな人には話しかけますよ」
    Grace「普通だよ、そんなの。
    日本が好きな人多いし、語学が得意だし、語学力アップのチャンスじゃん」

    台湾では第二外国語の一番人気が日本語で、文化やサブカルチャーが好きな人も多くアニメを見るために日本語を勉強する人も少なくないと知りました。
  • 初回で台湾に強く興味をもったのは わかりましたが、二回目に台湾に渡航した目的は?
  • HITSミッションのアレンジをしてくれた TCA(台北コンピューター協会) 吉村章さんが当時良く言っていたことは「日本発、台湾経由、中国市場進出」でした。

    これから日本の中小企業はどんどん世界に進出すべきだ。そして最も近く魅力的な市場は中国である。ただ中国市場には独特の難しさがあるので、日本と中国の文化的中間に当たる台湾人と一緒に展開するのが成功しやすいのではないか?

    という戦略です。その言葉にちょっと乗ってみようかなと。会社の存続をかけるような投資をするのではなく、別に自分の興味や好奇心を満たすための自己投資ぐらいの感覚でした。

    HITSミッションでお会いした企業に再度訪問したり、知り合った方々に私とビジネスができそうな方を紹介してもらったりしてとにかく多くの台湾人といろんなことを話して、台湾を知り、良い刺激をもらうというのが二回目以降の目的でした。
  • 日本と台湾もそうですが、社長自身も東日本大震災関連で台湾との繋がりが深くなったと聞きましたが?
  • この話が長いんです(笑

    2011年 3月 11日 に東日本大震災がありました。私の二回目の台湾渡航から2か月後のことです。水戸本社は倒壊はしなかったものの事業を継続できる状態ではなく、水戸本社は事実上営業を停止しました。ライフラインが復旧しても電車は止まり、みんなが集まれる状態ではなかった。

    私の実家は福島県いわき市ですが、福島第一原発事故のこともあって実家にいる時間も長くなっていました。しばらく震災ボランティアをやってました。そんなときの4月11日にM7.0の余震が発生、これは震源地が実家から数kmぐらいしか離れてなく震源の深さも5kmとかそれぐらいの深さだったかな?阪神大震災がM7.2(編集注:実際には阪神大震災はマグニチュード7.3)でしたから、それを思うとどれぐらい強烈な余震だったかが分かってもらえると思いますが、その余震で実家の一部がまた壊れたんですね。 東京での仕事もありましたが、そちらも対応を中断させていただいたので、実家にいる時間が長くなりました。

    その間、国内だけでなく台湾や中国の友人から心配のメールをたくさんいただきました。「福島県は大変なことになっているんでしょう?家族と一緒に中国に逃げて来て。家族が住む場所は提供するよ。私の家族も手助けすると言っている」という とても嬉しい話をもらったりして、まあこれは台湾ではなく中国大陸の友人からいただいた話でこれはこれでまた別の話に繋がっていくんですが、それはさておき。

    とにかく台湾からもたくさんの連絡をいただいた。「行って何かを手伝うことはあるか?行って手伝おうか」とか「個人的に義援金を送るから貴方の口座を教えてほしい」とか。もちろん私の友人たちだけでなく、日本と直接交流の無い台湾のたくさんの人が支援してくれることは日本でも報道されているとおりです。

    そんなときに外務省のホームページを見ていました。いまは当時とずいぶん構成が変わってしまいましたが、私が見た記事は残ってます。

    「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集) アジア(台湾)
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/episode/episode07.html

    ここにこんな一文があります。
    「全く日本と交流のない地元の小学校を含め,多くの学校での募金活動の模様が連日報道されました。中には,親からもらった1回分の朝食代20元(約60円)を寄付し「すぐにお昼ご飯の時間になるので,大丈夫。」と言った生徒がいたことが報道されています。」(台湾では、自宅をでるときに朝食代をもらって途中で食べてから登校するということが多くあるようです)

    これを読んで私は非常に心を打たれました。自分の食事を減らして義援金にする発想は僕にはなかった。

    そして、思った事が一つ。
    「この子だけが特別にそういう思いが強いのだろうか? それとも似た話がたくさんあるのだろうか?」まず私は台湾の友人たちの協力を得て、この一文の台湾報道を探しました。SNS等でも情報提供を呼びかけたんです。

    最初は報道記事自体は見つからなかったのですが、いくつかの情報が集まりました。「台湾の高雄市近郊の小学校の話らしい」「その小学校の電話番号がわかった」(報道記事がわからないのに小学校の電話番号がわかるのはSNSの不思議?)

    これらの情報を得たので「じゃ、次に台湾行ったときに高雄まで足を延ばして、この小学校に行ってみよう」と。これが私の兄貴のような親友のような存在である鄭志隆校長と親交のきっかけでした。
  • 社員旅行で鄭校長先生と会いましたが、そういうきっかけだったんですね。 しかし、記事をみただけで行ってみようと思ったのはなぜですか?
  • 台湾でも よく聞かれる質問ですが、一番の理由は私の性格でしょう。
    自分で見て、聞いて、触れられるものは直接感じたい。
    台湾に魅力と興味を感じていたタイミングということもありますしね。
  • それで実際に小学校に行ってみたと。
  • 台北から高雄までは台湾高速鉄道(新幹線)で1.5時間ぐらい、いわきの実家から東京まで特急で2時間ですからね。それより近いと思いました。台湾第二の都市 高雄にも行ってみたかったし。

    そこで吳又に頼んで、小学校に電話をかけてもらったんです。「そちらの小学校の報道を見て、日本人が行ってみたいと言ってますが 訪問しても良いですか?」と訊いてもらいました。

    後日彼女から連絡をもらいました。「校長先生と話せたんですが、歓迎するのでぜひ来てほしいと言ってました。」

    これで私の小学校訪問は確定です。
    行きたいと申し入れたのは私です。やっぱりやめますとは私の性格では言えない。

    困惑したのは次の一言でした。
    「小学校は高雄じゃないです。恆春というところです」

    恆春の場所を調べると台湾の最南端、バシー海峡を挟む先はフィリピン。日本から最も遠い場所です。

    台北から2時間ぐらいで行けるだろうと思ってたら、恆春は高雄からさらに長距離バスで2時間以上かかる。台湾第二の都市である高雄市なら、多少言葉ができなくなってどうにかなるだろうと思っていたら 古都だけど、どうみても外国人が行くようには思えない場所にある恆春でした。恆春の隣町「墾丁」はリゾート地で外国人も良く訪れるとは、この時は知りませんでしたし。

    軽い気持ちで考えた僕のミッションは、いきなりハードルが上がってしまいました(笑
  • 小学校への初めての訪問は一人だったんですか?
  • 最初は一人で行くつもりでしたが、小学校に訪問するころは震災で中断していた会社の事業も再開してましたから限られた台湾滞在時間内で行って帰ってこないといけない。

    事前に念入りに交通手段を調べなきゃいけなかったしよく考えれば 華語(≒中国語)はおろか英語だって苦手なのにそれで一人で行って、どうするんだろうって後から思いました(笑
    ろくに話もできずに、ただ行って見て、帰ってくるだけなんて、それは失礼だろうと。

    恆春は地方の一都市ですから、通訳をお願いできる人がいるのか?とも心配しました。まずは交通手段を調べようと思って、このときは Graceに協力をお願いしました。

    「Graceにお願いがあります。台北から恆春まで往復したい。最短の交通手段を教えてほしい」
    「はぁ? 恆春なんて何しにいくの?遠いよ?」

    Graceにここまでの経緯を説明すると彼女はこう言ってくれました。
    「なるほど。じゃあ有給休暇が溜まっているから、休み取って一緒に行ってあげるよ」
    通訳兼ガイドとして一緒に訪問することになりました。
  • 社員旅行で鄭校長先生と会いましたが、そこにGraceさんが一緒だったのはそれも理由だったんですね
  • 最初の訪問からずっと彼女が手伝ってくれた。鄭校長先生と親友になれたのも彼女のおかげです。
  • 鄭校長先生の小学校に初めて訪問した時はどんな感じでしたか?
  • 小学校全体での大歓迎でした。学年ごとにダンスや歌などを披露してくれたり、一緒に遊んだり。
    当時の新聞記事がまだ残っています。
    「鄉下小學的小善念 感動日本企業家來台」
    http://video.udn.com/video/Item/ItemPage.do?sno=344-233-2B4-233-2B3-2B3b33333b4-233-2F313432
    「學童為日本祈福 日商將來台道謝」
    http://news.ltn.com.tw/news/local/paper/495043

    台湾Yahooのトップ記事にもなったそうでこれを見た台湾の友人からたくさんの反響がありました。
  • 訪問の目的は達成できましたか?
  • 十分達成できました。
    外務省ホームページにある「朝食代を募金した」小学生ともお話しました。

    彼女はとても照れていましたが、こう言っていました。
    「校長先生に言われたことをしただけです。
    『自分にできることをしよう。
      大きくなくていい、小さくてもいいから できることをしよう。
      何ができるかを考えて、それをやろう。』」

    他の小学生たちも 自分たちできることを考えて、いろいろしてくれたそうです。 一人の生徒だけが特別ではなく、たくさんの生徒が行ったことの 一つが報道されただけだとうことがわかりました。

    私が鄭校長先生の薫陶なのだと話すと、鄭校長先生はこう答えました。「私も力を入れたが、本校だけが特別ではない。他の小学校でも似たことはしている。」

    先生方やPTAといった小学校の方々だけでなく外務省ホームページにある一文の記事を書いた聯合報の藩記者とも話ができました。私が研究を支援している民俗学者の念先生と知り合ったのもこの時です。
  • 藩さんや念先生とは社員旅行で我々も会いました。
  • 初めて会ったとき藩さんは
    「俺の書いた記事が他国に伝わって、日本外務省のホームページに載って、それ見てここまで来る奴がいるとは…」
    と不思議がっていたのをよく覚えています。
    「それがペンの力です」と私が返したのですが、そこでGraceが
    「社長が小学校を訪問したことで、小学生たちは日本に強く興味を持っただろう。
     この小学生たちの中には将来日本と強く関わることになる人が含まれているかもしれない」
    と付け加えたことをよく覚えています。
    小学生たちにとっては、初めて会った外国人、初めて話した日本人が私かもしれないということです。

    「報道ひとつで、誰かの人生を変えることもあるんだから、記者っていうのは意義と責任の大きな職業だ」
    と話すと、藩さんは照れながら
    「だから俺は新聞記者やってんだよ。人を活かす報道をするのが俺の信条だ」
    と話してくれました。この彼の信条が、僕にとっては良い事ばかりではないことを後日知って言い合いになるのですが、この話はまた別に。

    念先生は公務員を早期退職したあと、地元の歴史などを研究し、著書を残しています。彼はもともとは日本が嫌いだったそうですが(こっそり校長が教えてくれた)、地元の歴史を知るほどに日本が好きになり幼いころに大人から聞いた日本統治時代に興味を持ったそうです。

    恆春は 清の時代に城が築かれたことで歴史に名を残し始めますが、日本との結びつきが非常に深い土地です。

    念先生の研究テーマの一つである「恆春測候所」。これは日清戦争のあと太平洋戦争の日本敗戦で終わる台湾の日本統治時代に当時の台湾総統府が開設した測候所でここで得られた測候データが日本の台風研究の基礎になっています。

    またあまり知られていないことですが、明治維新以降 日本軍が初めて侵略した他国は台湾なんです。その発端となった「牡丹社事件」というのは、難破した琉球漁船の漁民がこの地に漂着したことに始まります。

    大東亜共栄圏構想では 韓国と台湾は日本の内地とされました。
    フィリピン国境に最も近い恆春には飛行場が建設されます。

    私が訪問した水泉國民小學、龍泉分校も日本統治時代に設立された小学校です。歴代校長が残した日誌を見せていただきましたが、敗戦まで日本人が校長を務めており、日本語で書かれていました。念先生の研究では 昭和天皇が 皇太子時代にこの小学校を訪問した記録があるらしいとのことです。

    念先生「日本の内地からこの小学校に公式訪問したのは記録上、昭和天皇の次は社長さんですよ」
    鄭校長「じゃ私がそのように日誌に書いて残しておこう」
    大川原「先帝陛下 皇太子時代の次 なんて畏れ多い。とんでもないことです、記録しないでください」
    念先生「それじゃ歴史にならないじゃないか」
    大川原「途中で記録されていない人が訪問してるかもしれないじゃないですか。歴史を勝手に作ってはいけませんよ」
    鄭校長「残ってないんだから無いものと同じだよ。有ったことがなかったことになるよりもマシから社長さんが来た事は書いておく」
    大川原「日誌に書くのはいいけど、陛下の次とは書かないでくださいね」
    Grace「華語で書けば 社長さんは意味がわからないから大丈夫。好きなように書いて。」
    と、四人で笑ったことを覚えています。
  • 水泉國民小學には一回だけ行ったんですか?
  • 初めて訪問したときの別れ際、バスに乗るところで鄭校長先生が思い切ったようにこう言ったので二回目の訪問がきまりました。
    「また来てくれるか?」

    「校長先生が要望するなら、私はまた来るだろう」
    「約束か?」
    「わかった、約束しよう」
    「日本人は約束を破らないって聞いたぞ」
    「私はまた恆春に戻ってくると、何かに誓って約束する」
    (「日本人としての矜持に誓って」と言いたかったのですが私には翻訳できなかった・・・)
    と英語教師である鄭校長は流暢な英語で、私は英語になってない英語で約束しました。
    約束したのですから、再訪するのは当然のことです。

    ちなみに同行していたGraceは このときは通訳をせず、黙って聞いていました。通訳すべきところと、そうでないところをわかっているのがGraceの高い能力の証明ですがこのときの僕の英語力のせいで、バスの発車が遅れたのが私の低い語学力の証明です(笑
    会話の最後の一文はたぶん伝わっていません・・・
  • 結局、全部で何回?
  • 鄭校長先生が水泉國民小學に赴任している間に三回かな。
    私の訪問が小学生たちの教育ためになるのイベントになるのならと。

    最初の訪問のあと、運動会にもゲスト参加しました。運動会では親子二人三脚で、お父さんが参加できなかった連海という子のパートナーを務めたり最後のリレーでは校長先生とアンカー対決をしました。それから母の日のイベントにも参加しましたし、訪問の話でありませんが 卒業式に記念品を贈ったこともあります。

    卒業式には校長賞やPTA会長賞というものを贈っていたそうなんですが、卒業生の中でもっとも道徳心の高い人に贈る「大川原社長賞」というのを新設してもらいましたね(笑
    選考は先生方とPTAで決めたそうで、私は記念品とメッセージビデオを日本から送っていました。彼らが大人になって、贈った記念品を持って私に会いに来てくれることを今でも心待ちにしています。

  • 社員は誰もそんな話聞いていませんでした。
  • これは仕事ではないから、わざわざ言うことでもないかなあって。

    それと震災の前の年と震災の年は赤字決算でしたから
    「社長!赤字なのに海外で何遊んでるんですか!!」って言われたくなかった(笑

    別に遊んでるだけじゃないし、震災の年に赤字になったのだって額でみれば、苦しい台所事情から震災見舞金を社員に配ったからなんですがそんなのもわざわざ言うことではないですしね。
  • 台湾では社長を知る人は多いのですか?
  • 最初の訪問はテレビで報道されたりしましたし、その後の運動会参加も地元の記者さんたちに記事にしてもらったし社長賞については私自身は足を運んでいませんが、地元の新聞7紙に取り上げられたと聞いた気がします。報道はされているわけですから、あちらでは知ってる人はいるんじゃないでしょうか。
    覚えている人がどれぐらいいるかはわかりませんが(笑

    2011年の年末に発表された台湾十大ニュースの第一位は 日本の東日本大震災支援に関する話題でしたがその話題の中で私のニュースも年末に全国に再放送されたようで、それを見た台北の友人から連絡がきました。牛肉麺食べてたら、テレビに知ってる顔が映ったって(笑

    調べたらテレビ放映されたニュースがまだ残ってました。
    「學童捐零用錢賑災 日企業家致謝」
    http://news.cts.com.tw/cts/life/201106/201106240763970.html
    ノリと勢いでやってましたが照れくさいですね(笑
  • 社員旅行で訪問したのはこの小学校ではなく、別の小学校でした。
  • 鄭校長先生は私の三回目の訪問のあと水泉國民小學から、故郷である東港の大潭國民小學に転勤になりました。

    二回目の訪問のときは「次もまた来てくれ」という話があったのですが三回目の訪問のときは、任期切れ(台湾の小学校の校長は任期が4年と決まってる)が近かったからなのか次回の話がありませんでした。今思えば、彼は次の赴任先にも来てほしいとは言えずに遠慮していたのでしょうけどその時の私は「役割を終えた」と思っていました。

    そして2年経って、社員旅行が台湾となったときに思い浮かんだのは「いつか社員のみなさんと遊びに来てくれ」という、いつかの校長先生の言葉でした。大潭國民小學には私から「社員を連れていきたい」とお願いしました。
  • 社員旅行では 恆春まで行きました。
  • 台湾の言葉に「念舊」というのがあります。
    日本語に訳すると「旧交を忘れない、昔の誼を大切にする」という意味です。
    恆春まで行ったのは 藩さんや念先生たちとの「念舊」ですね。
  • ところで大潭國民小學の先生方20人以上が7月に日本を訪問するそうですが?(2016年4月現在)
  • 大潭國民小學は 屏東縣の公立小学校で唯一、第二外国語として日本語を教えている小学校です。台湾全体でも私立やインターナショナルスクールを除けばかなり珍しいのではないでしょうか。

    台湾人はみんな教育熱心ですが、その中でもこの小学校の先生方は 特に教育熱心です。日本の小学校を訪問して、台湾の小学校教育と同じところや違うところを学んで日本の教育が優れている部分は取り入れて現場の教育に活かしたいという先生方の要望があってそのお手伝いをすることにしました。

    この話を東海村教育委員会にしたところ、受け入れを快諾いただきました。東海村の小学校の訪問日程は決まったので、いまは細かい部分を調整しています。
  • 社長と台湾の恆春や東港との繋がりはよくわかりましたが、それだけではないですよね?
  • 今回お話しした以外にも恆春や東港でのエピソードはあります。恆春では文化交流という点で台湾原住民のおばあさんと日本語ではとぽっぽを合唱した話も面白いでしょうし台湾のマスコミというか記者に私がやられた話も文化や考え方の違いを知る上で面白いでしょう。東港からフェリーで渡る小琉球という離島に観光に行ったときの話も これからの当社に大きく影響すると思っています。

    恆春や東港以外にも「絆の桜」や台南飛虎将軍廟に関するエピソードもいくつかあります。尖閣諸島問題で、台湾の漁船が尖閣諸島に押し寄せて海上保安庁が出動したときには台湾の漁船団の母港に行って話を聞いてきました。

    台湾だけでなく中国でのエピソードもあります。
    良い話もありますし、公開できないようなエピソードもあります(笑

    せっかくこんなページを作ってもらったのですから私が海外出張のついでに何をやってるのかのホウレンソウをしていくのかも面白いかもしれません。

    もちろん仕事に関係する話もありますよ。
    台湾企業との業務提携も進めていますし、台北駐在員事務所開設の検討も始めました。また台湾の文藻外語大との提携を始めました。この辺の話は仕事に大きく関係するので、結果だけでなく経緯も含めて改めて社内でちゃんと共有する必要がありますね。

今回は台湾にスポットを当ててインタビューをしましたが、
今後、他のエピソードも追加予定です。

ページTop

活動記録

リンク

ページ終了